蓄音機 ─言葉とか催眠とか─

催眠が好きです。言葉や催眠や文具、その他面白そうな事について、ああとかこうとか書いて行こうと思います。

赤の他人

 名前というのは、親が一番初めに子に背負わせるエゴであり、呪いである。
 早くは、生まれる前から始まる。
 顔を見てから決めるという親もいる。

 会話も交わしたことのない相手なのに、親に子どものなにがわかるというのか。

 

 うちに来た赤ん坊には、まだ名前がなかった。
 まっさらなタブラ・ラサ
「この世の苦悩を一身に背負ったような泣き方をするよねぇ」
僕の母はしみじみと言った。
 火の点いたように泣く赤ん坊。
 理由はあったり、なかったり。
 ミルク、おむつ、と何かの主張のこともあれば、落ち着かないというだけで泣いている様子なこともある。
 推して応じてもらわねば、寝返りを打つことも叶わぬ。


 不自由だ、と泣くのだ。

 

 お前は今、人生でもっとも自由なのだぞと、泣き叫ぶ赤ん坊に言い聞かせてやりたい。
 人生で恐らくもっとも、呪いの少ないときだ。
おむつを替えられるその股にちょこんと付いたふぐりを見つめた。
「ちび太、もうきれいになったよ、ほら」
母親にあやされて、しかしさっぱり聞く耳を持たない赤ん坊。
 名前もないので、便宜上のあだ名だった。

 見る人のいない間、見ておいてくれと預けられる。
 なるべく話しかけてやってくれと言うので、理路整然と話した。
 赤ん坊には不似合いかもしれない。
 とはいえ恣意は僕の方に不似合いなのだから、許してほしい。
「要求が通った後も泣き続けるのは、スムーズな対応を望むなら逆効果だぞ」
重要なのは声かけそのものなので、どうせ、なにを言ってもあまり変わらないのである。
 晩年の祖母を思い出した。
 日常生活を肩代わりする管を繋がれて、時々目を開ければその日は上々、という生き方。
 刺激を与えるためだけに点けっぱなしにされたテレビをBGMに、やくたいのない声かけをひたすらした。
 手ごたえのなさは正に同じで、だがこの赤ん坊には先がある。

 どちらが幸せなのか、僕には明確な答がない。

 僕の名前には、有難くないアイコンが入っている。
 キティちゃんやミニーマウスが着けるリボンのような一文字だ。
 台所から、母親と僕の母が話し合う声が漏れ聞こえてくる。
 ちび太は、ちび太が、と、「母」という生き物の懇話。
「お前、名無しのうちからもう男名で呼ばれるのか」
不憫なやつめ、と指を差し出すと、ぎゅうと掴まれ握られる。
 なんの含みもない把握反射。
 僕に子どもはいない。この赤ん坊とは子ども同士だ。
「あっ、笑ってる」
戻ってきた二人の母が、覗き込んで微笑んだ。
 生理的微笑反射にほだされる母親たち。
 母というのは、つくづく愚かにできている。
「べつに、好きで笑ってるんじゃないもんなぁ」
自由な代わりに無力な子どもの生存戦略に、そっと理解を示してやった。
 赤ん坊はまだ、僕の指を離さない。