蓄音機 ─言葉とか催眠とか─

催眠が好きです。言葉や催眠や文具、その他面白そうな事について、ああとかこうとか書いて行こうと思います。

延命と点滴

 

 十一月の末。
 やくたいもない、病院の帰り道。
 馴染みのない路線だ。車内の液晶パネルを見て、このまま終点まで乗っていけば新宿なのだと初めて知った。

 

 知らず、係留点に繋がっていた丸ノ内ライン。

 

 そもそも座席を立つ気力もなかった。だのに、ここで降りねば、時間もない。
 そんな乗り換え駅でドアが閉まるのを、座ったまま眺めていた。ああ、帰ったらなんと言いわけしようか。ここから先は知らない駅だ。知らないけれど、終着駅はよく知る街。新宿は、歌舞伎町のど真ん中に区役所がある。夜になれば客引きが恐ろしい街だ。行くもんじゃあないと言い含められて育ってきた街だった。

 そんな駅にふらりと降りた。終点だったから、もう座ったままではいられない。だから仕方なしに座席を立って、降りた。
 映画館が多いとか、いかがわしいお店が多いとか、洒落た服屋やカフェがあるとか、そういうイメージには現実味が持てなかった。大人になってからよく知るようになった新宿は、そんな街ではない。

 ルミネ、角座、末廣亭ネイキッドロフト、バティオス。

 

 お笑いの街だ。

 

 平日昼間ですらチケットが取れない日があった。香盤表を見て今日もそんな日だろうと覚悟していたら、前売は売り切れだったくせして最前列が取れた。急なキャンセルが出たのだろう。何日も前から狙ってみたところでずっと取れなかった最前列が、ふいにぽろっと取れてしまった。

 一時間半ほどの観覧は、あまりに辛かった。

 称号持ちばかりが揃った香盤表だった。ピン芸日本一、漫才日本一、またはそんな賞レースのファイナリスト経験者たち。結成十五年内の漫才師のうちでぼくが一番好きなコンビも、その中にはいた。やはり変わらず、きれいな漫才をするコンビだ。しかし今年一年は、楽しげでないのが観ていて苦しいコンビだった。

 

 そんな公演を念願の最前列から、特に笑いもせず観ていた。

 

 ひとつ前の病院は半ば医者との喧嘩別れのように通うのをやめた。
「失感情症なんだよ」
その医者は捨て台詞のようにそう言った。
 同席していた母は帰りの電車、怒りと呆れでしどろもどろにぼくに今までの経緯を尋ねてきた。聞かれたところで、特に説明できるような中身はない気がした。その前の病院ではひと月にいっぺんだった診察が二週間にいっぺんになっただけの話だ。ぼくの時間がやくたいなく削られる、それだけの一年だった。

 

 その日行っていた病院には、週いっぺん来いと言われている。そして同じことを言う病院が、もうひとつあった。それぞれ別の専門領域。とはいえたぶん、なんの意味もないのだ。どちらの主治医も、そう、ほとんど認めていた。今までの誰も、方針どころか要因すら断定してくれなかった。


 家に帰って手紙を書いた。いや、確かに便箋に書きはするのだが、およそ手紙とは呼べない気もしている。何月何日どの劇場の何回目公演でやったこのネタのこの部分がこうでした、と並べ立てるだけの文章。スマートフォンに下書きをさらさらと書く。帰りの電車でおおよそ書けてしまう。そうして、一通便箋に起こすのに四時間かかる。こういう手紙を書くときは、あるコンビが昔ラジオで話していたことを思い出す。バレンタインのチョコレート、あんなにもらっても食べきられへん、という話。それやったら代わりにこんなものくれた方が嬉しい、という提言。

 

「でも、それやとあげた感ないやん。やっぱりあげる側もあげた感ってほしいやろ」
そんな相方の柔らかいフォローに、一刀両断。
「だから、そういう自己満足やめませんか、って話やん」

 

 あらゆる創作活動の中で、お笑いというのは特殊な、リアルタイムにフィードバックが白黒はっきり返ってくる分野だ。
 だから、素人があえて書く感想というのは間違いなく、自己満足なのだろう。

 それでも国内最大級の賞レースの直前、おそらく勝負ネタであろう漫才を観て、身の置き所がなかった。
 今年は特に、結果を見届けるのがファンの「義務」だろうと、生まれて初めて誰かのファンを自称してみてまで、思っていたから。

 

 数日後、何もかも放り出して劇場へ行った。
呼び込みの若手芸人すらまだ仕事前の、朝の東南口改札前。
 どうしたって、顔はわからない。彼のよく身に付けている私服と時計とカバンと、人間の見分けがつかないぼくは知れる限りの手がかりを叩き込んで行った。
 極まる寒風に立ちんぼの小一時間。
 ぼくの斜めがけの布カバンは、ほとんど空だった。
 たまらず重たい生地のコートを脱いで、背中の詰まるジャケットも脱いだ。気休め程度にしかならないが、それでも少しはましになる。息が浅くならないよう、人差し指の付け根に爪を立てて戒めていた。
 そうして彼は、ふらっと現れた。
 カバンは夏と変わっていたけれど、背格好と歩幅と腕時計で同定して、走り寄った。出番前ぎりぎりのこの時間に呼び止めたくはなくて、止まらなくて済むように封筒を見せて、できる限り簡潔に。
「先週金曜日の回の感想文なのですが、よろしいでしょうか」

 

 こういう瞬間はいつも、ああこの人はあの人なのか、と思う。
 おかしな話だ。
 ぼくは彼をよく知っていて、それこそ生まれた家が潮騒のすぐ傍らであるとか、両親に黙ってとんでもない転職をしたことが賞レースで実績を上げたばっかりにバレてしまったことだとか、初恋の女の子の名前とか、そんなことまでよく知っているのだ。
 しかし彼は、ぼくのことを何ひとつ知らない。不自然で不可思議な非対称性だった。ずいぶん前に初めて言葉を二、三交わしたとき、それは怪訝な顔をされたから、性別すら計りあぐねていたのかもしれない。
 こちらがどれだけよく知っていようとも、向こうからすれば初対面の赤の他人よりもっと気味の悪い、ぼくはそんな関係性にいる。

 

 彼はぱっと封筒を見て、ぼくの方を見て、さらりと言った。
「ああ。また? ありがとうございます」

 

 それはきっと、少し前にやはり一度、封筒を渡したことを指していた。
 夏に観た公演と、テレビでのネタ見せの何本かと、それらの感想文を何ヵ月も持て余していて、それをようよう手渡せた少し前のこと。
覚えられていたことを、どう取っていいものかわからなかった。
 ああ、申し訳ない。いま、こんな大切なときに煩わせて、申し訳ない。
 だけれど、いま他に生命線を知らないのだ。

 


 今年の賞レースが終わって、ああ、ほとぼりが冷めたら感想文を書こう、と思った。去年のときは、再び予選が始まる夏頃に書いた。台詞全てを文字起こしして、一行一行に感想を書いた。今回はそこまで待てそうにない。ひと月待てば、もういいだろうか。待ったと思ってもらえるだろうか。一月も半ばになれば、もういいだろうか。
 その頃には、また別の病院へも検査に通っているだろう。
 昨日、母親が言ったのだ。


「そんなに悪いなら、お笑い番組なんか観て楽しそうにしていられるはずがない」


 今月初め、テレビどころか大きな劇場にも出たことの無いあるコンビに、次に昇格バトルに出られたときにはまた観に行きますねと伝えた。ファンと話し込む癖のある話好きの芸人さんに、話すの好きやからまた呼び止めてな、と言われた。

 

 次に彼に手紙を渡したら、なんと言われるだろうか。またかい、と苦笑いされるだろうか。ファンにも容赦ないひとだから、敗戦からひと月も経ってないのにデリカシーのない、と怒られるだろうか。要らない記憶は切り捨てていくひとだから、そもそも前回のやりとりなんて覚えていないだろうか。
 しかし間違いなく、「ありがとうございます」とは言われるのだ。言われて、愛想良く笑ってはくれるのだろう。

 

 ぼくはこんな、わざわざファンと自称してみてまで、お為ごかしにかこつけて生きているのだ。素人の書いた感想文なんて要りもしないだろうに、彼は仕事として受け取るだろうし、ぼくはファンの義務として渡すのだ。
 ファンでいる限り、ぼくはひとまず来年の十二月までは生きていかないといけないから。優勝を見届けるまでは、ひとまず延命できるから。

 優勝候補と言われ続ける彼らコンビは、次の大会で優勝するのかもしれない。こんな寝室の片隅で、ひとつ、命を負わされているとも知らずに。

 

 

 一月になったら、診察が長引いたとうそぶいて、ぼくはまた新宿へ寄る。